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★やっぱり、小学生に英語の時代なのか...

[ Category : 雑記 ] 2010年07月17日 13:41
 ご無沙汰しています。教材配信をはじめた途端にStudio-ARZの更新頻度が落ちてます(笑)。ニンゲン、そんなもんです。先ほど、1件、面談がありました。お暑い中、お越し下さいましてありがとうございました。貴重なご意見を頂きました。で…、(メインのご相談とは別に)「小学生に英語を!」というご意見を頂きました。

 以前からも、ちょくちょく「小学生に英語はしないんですか?」というお問い合わせを頂いております。そろそろ、重い腰を上げないといけない時期になったのかもしれません。

小学生に英語は必要なのか?

ボクの考え

 正直、いまは悩んでいます。どっちなんでしょうかね?必要なのか、必要でないのか、即答できません。以前は「国語ができない子に英語をさせてどうするの? 英語の前に国語でしょ!!」という姿勢でいたのですが1)、こうも世の中が動いてしまったとなると、やらないといけないのかな…と思わざるを得ない状態になりつつあります。

 ただ、この場合の「小学生に英語が必要」というのは、積極的な意味での必要ではなく消極的な意味での必要を指します。「中学になって困るから必要」なのであり「その子にとってホントに必要」なのかどうかという点においては、今回は疑問符のままにしておきます。

指導と評価の歪み

 はっきり言って、英語の勉強をしません(笑)。勉強しないから点数が取れるわけがありません。でも、一方的に「中学生が勉強しないからダメなんだ!」と決めつけることもできません。問題は「教科書は会話中心なのに、ペーパーテストは文法中心」である部分にあります。今の教科書をご覧になったことがない方は、安いので1冊購入してみたらイイと思います。ものすごくくだけた表現が増えています。

 教科書がくだけているのに、テストでは「コンマがないと減点、ピリオドがないと減点、語順が違うと減点」まぁ、ペーパーテストですから当然といえば当然ですが…。

 指導の要となる教科書と、評価の要となるテスト。この両者の歪みが問題の根本であるとボクは思っています。

学問としての英語と実用英語

 はるか昔から「受験英語は実用的ではない」「中学・高校と6年間英語を勉強するくせに、日本人は英語がしゃべれない」という指摘はありました。そして、その世論によって、教科書は学問であることを捨て、実用的なものへと変わったわけです。くだけた表現が増え、現代米語が増え、会話力を養うことができる実践的な内容へと変わっています。しかしながら、テストは、依然「学問としての英語」を捨てていないわけです。なぜなら「高校受験に必要だから」です。

 じゃぁ、高校受験から英語のペーパーテストを廃止すればいいじゃないか? もっとその上の、大学受験から英語のセンター試験を廃止すればイイじゃないか!! と、だんだんエスカレートするのは、ボク個人的には反対です。そうはならないで欲しいと思っています。高校受験の英語、大学受験の英語は、日本人に唯一残された「学問としての英語に接することができる機会」です。

 10数年前の古い表現だってイイじゃないですか。外国人から笑われてもイイじゃないですか。しゃべれなくてもイイじゃないですか。世界のスタンダードを遅れながらに導入するよりも、「日本人ってさ〜、英語しゃべれないくせに読めるんだよねー。Nice to meet you.すらたどたどしいのに、英語の文献渡したら読んで理解しちゃうんだよ。アレっていったいどうなってんの?」くらい外国人に言わせてやりたいもんです(笑)。実用英会話を学校で教えるのではなく、学問としての英語を学校で教える時代に戻らないかなぁ…。と、個人的には思っています。それでイイんです。学問とは、実用に直結しないものなんです。実用が乗っかるための土台であり基礎であり底力であるものが学問なんです。実用的な部分は、ホントに必要に迫られた人が、必要に応じて民間教育機関に頼ればいいんです。

 どこそこにボクが書いていることですが、何かをやろうと思った場合に最も大切なことは「基礎」です。どんな一流のスポーツ選手も、毎日欠かさず基礎練習をするんです。プロのミュージシャンがコンサート直前に控え室で行う練習は「運指」なんです。基礎を徹底して身に覚えさせるからこそ、自由に応用を利かせることができるんです。英語で言うと「S・V・O・C」ですよ。コレを徹底してやるからこそ、長く複雑な文章でも読めるようになるんです。受験から英語が廃止されたら、誰も、この基礎をやらなくなってしまいます…。「生きた英語」を勉強しているつもりが…。

こうすればイイのでは?

 さてさて、現代の学校教育では、ひとくくりに「英語」という教科を学習していますが、中学生の英語教育は「英会話」と「英文法」に分けるべきだと思います。いくら「S・V・O・C」が必要だとは言っても、中学1年生にそれは無理です。ですから、中学1年生の間は「英会話」を教える。文法は問わない。指導内容は「会話とリスニング、それに、英単語の読み書きができること」が望ましいでしょう。こうして、中学1年生の間に、徹底して英語に慣れさせる。幼児がことばを覚えていくように、中学1年生には語彙力を養成するわけです。ペーパーテストは単語テストのみ。あとは、リスニングとスピーチング(トーキング)のテストをさせればイイと思います。

 中学2年生から「英文法」を導入。ことばとことばを組み合わせて文章をつくる学習をさせるわけです。この学年からは、ペーパーテスト時の採点基準に文法的理解も問います。文語英語としての語順は正しいかどうか。コンマの位置、接続詞や前置詞の使い方は適切かどうか。そのようなことも学習させ、理解度を問う。このように、「英語」を2段階に分けて中学生に導入することが望ましいのではないかと思っています。

 要は、「口語的要素」と「文語的要素」の境目が曖昧なままに、ひとくくりに「英語」として中学1年生に強いていることが間違いなのです。授業で「読ませる」「言わせる」「聞かせる」ことを中心に学習が進んでいたハズが、いきなりテストで「書かされる」ことに戸惑い、「英語はわからん!」という子どもを大量生産するに至っているのだと思います。そして、そういう「スタート時のつまずき」を恐れる保護者の方を大量生産するに至り、「ならば小学生に英語を!」という世論を生むに至っているわけですね。そして、世論に反応して政治的エサとして小学生に「とりあえず英語を導入」しちゃったという状態でしょうか、現在は…。うむ…、これじゃぁ問題が解決するとは思えないですけど(笑)

じゃぁ、小学生に何を教えるか?

 なにがいいでしょうね(笑)。ちょっと、じっくり腰を据えて考えてみます。

Discussion

1) 藤原正彦さん、好きです